大判例

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名古屋高等裁判所 昭和46年(行コ)13号 判決

控訴人 西尾普一

〈ほか二名〉

右訴訟代理人弁護士 大矢和徳

同 石川智太郎

右大矢訴訟復代理人弁護士 井上祥子

同 宮道佳男

被控訴人 愛知県

右代表者知事 仲谷義明

右訴訟代理人弁護士 加藤義則

同 佐治良三

右指定代理人愛知県事務吏員 鈴木千代松

〈ほか七名〉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。控訴人らが被控訴人愛知県の職員であることを確認する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用および書証の認否は左記のほか原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

第一、当審における追加主張

(控訴代理人)

一、原判決は、控訴人らが退職手当等を異議なく受領したうえ、中労委の棄却命令以後一〇年の長期にわたり本件処分を争う法律上事実上の手段を全くとらなかった旨認定しているが、これは事実に反する。

すなわち、控訴人らは被控訴人から退職手当等を受領するにあたり、愛知県人事課に対し本件処分を認める趣旨でない旨断り、これを給料の一部として受領する旨明確に通告したうえ受け取ったものである。このことは受領後もひき続き地労委、中労委において本件処分を争っていた事実に徴しても明らかである。また、控訴人らの加入していた労働組合も昭和二五年六月末まで控訴人らの組合員資格を認めていたのであるから、被控訴人は、これらの事実から控訴人らが退職手当の受領によって、本件処分を承認していないことを熟知していた筈である。

控訴人松井は、右、中労委の棄却命令後も、訴外太田幸夫と共に控訴人らを代表して、当時の桐谷副知事に対し、数回にわたり、復職を要求している。

そして昭和三二年頃、愛知県教育長から控訴人松井に対し一旦学校の事務職員として就職する意思の有無を照会してきたことがあったが、同控訴人が回答する以前に、学校側の都合によりその照会は撤回されてしまった。

なお昭和三四年頃には日本自治団体労働組合愛知県連合会も被控訴人に対し、控訴人らの復職を要求しているのである。

二、信義則法理適用の不当性

(一) 本件処分の効力を争う控訴人らの内心の意図がたとえ被控訴人に対して一〇年間表示されていなくとも、その間の歴史的客観情勢、本件処分の反憲法的本質及び控訴人らの闘争準備の状況に照らせば、本件には信義則を適用する余地は全くない。

(二) 本件のように、当事者の一方が自己の肉体の切り売りによってしか生活を維持することができない労働者であり、他方が使用者として優越的地位にある地方公共団体(権力)であって、権力が自己の権力支配を維持せんがために憲法に保障する思想・信条の自由を侵して労働者を免職処分するという事案には、対等平等の市民相互間の民事紛争に適用すべき信義則法理は適用できないものである。

(三) そもそも信義則の主張をする者は必ずクリーンハンドでなければならない。しかるに、後記三、で述べるように、被控訴人は、憲法に違反し、しかも最重要の人権規定たる思想・信条の自由をふみにじりレッド・パージの本件処分をしたのである。これでは被控訴人の手は汚れており、被控訴人は、本訴訟において信義則違背を主張することができない。

(四) さらに、本件処分についての行政整理実施要綱によれば、被控訴人は控訴人らに対し就職を斡旋すべき義務があるにも拘らず今日に至るまでこれを何ら実行していない。この点からしても被控訴人が信義則違背を主張することは、クリーンハンドの原則に反し許されない。なお付言するに、被控訴人は、控訴人らと同時に「整理」された労組役員で日本共産党員でなかった者に対しては、間もなく復職させている。これは就職斡旋においても明らかに思想・信条による差別をしたもので、被控訴人が信義則違背を主張することはとうてい許されない。

三、本件処分は、いわゆるレッド・パージである。

(一) レッド・パージの意義は、広義では、昭和二二年二、一スト中止マッカーサー命令以後GHQ・政府・自治体・独占資本が一体となって実施し、昭和二四、五年に多発したところの労働者の思想・信条(本件でいえば共産主義思想・左翼労働組合思想)を嫌悪してこれを弾圧し職場から排除するためになす解雇その他の不利益処分をいうのであり、狭義では、昭和二五年五月三日のマッカーサー声明に基づくものをいうが、本件は、右の広義のレッド・パージなのである。

(二) 行政整理とレッド・パージ

この点についての主張は別紙(一)のとおりである。

(三) 被控訴人が編集した昭和四八年三月二〇日発行の「愛知県昭和史」にも本件当時組合活動家を中心に行政整理が行われ、組合運動に大きな打撃を与えたこと、特に愛知県職員労働組合の打撃が大きかったことを挙げており、(同書下巻一七一頁以下)被控訴人が組合活動家を中心にして行政整理の名目により、レッド・パージの本件処分を行ったものであることは明白である。

(被控訴代理人)

一、控訴人らの主張一、の事実関係は、すべて否認する。被控訴人らは、本件処分後、地労委の指導に従って異議なく退職手当等を受領したものである。

控訴人ら主張二、はすべて争う。本件処分はレッド・パージではないのであって、レッド・パージであることを前提とする控訴人らの主張は失当である。かりにレッド・パージであったとしても、それは、占領下において、連合軍最高司令官の命令指示によってなされたものであって、日本国家および国民が右司令官の発する一切の命令指示に対し、誠実かつ迅速に服従する義務を有し、そしてわが国の法令は右指示に抵触するかぎりにおいてその適用を排除されていたのである。したがって本件処分に対し、憲法違反、法令違反を主張することはできない。

二、行政整理とレッド・パージについての控訴人らの主張に対する答弁は別紙(二)のとおりである。

第二、証拠《省略》

理由

一、原判決理由一、二に判示するところは、当裁判所の認定判断と同一であるからこれを引用する。

二、よって、進んで被控訴人の信義則違反の主張について判断する。

1、《証拠省略》によれば、控訴人松井、同西尾は昭和二四年一〇月末までに、同権田は昭和二五年六月末までに、いずれも本件処分に伴う所定の解職予告手当及び退職手当を受領し、就中解職予告手当の受領についてはその旨を明記した受領書(乙第三号証の二五の一ないし三)を被控訴人に差し入れているが、しかし控訴人らはいずれも解職予告手当受領の際にはこれを九月分の給料として受領しておく旨の意思表示をしており、また退職手当を受領した時には既に本件処分を不当労働行為であるとしてその取消しを主張して被控訴人を相手に愛知県地労委に救済の申立をなし闘争中であったので、同地労委の委員とも相談したうえこれを生活補給金として一時受領したものであることが認められる。

したがって、控訴人らは、被控訴人主張のごとく、本件処分を受けたとき解職予告手当及び退職手当を異議なく受領したものではなく、むしろこの時点においては本件処分の効力を争っていたわけである。

2、しかしながら本訴は、控訴人らが、中労委から不当労働行為救済申立の棄却命令を受けた日である昭和二五年八月三〇日から満一〇年を経過した後である昭和三五年一二月三日に提起されたものであることは本件記録上明らかであるところ、《証拠省略》によれば、控訴人らは、右の一〇年という長期に亘り本件処分の効力を争う法律上または事実上の手段を全くとらなかったことが認められる。

(控訴人らは、中労委から棄却命令を受けた後も、控訴人松井が訴外太田幸夫と共に控訴人らを代表して桐谷副知事に対し復職を要求しているし、控訴人松井に対しては、昭和三二年頃被控訴人の教育長から学校の事務員として就職する意思の有無につき照会があり、また昭和三四年頃には日本自治団体労働組合愛知県連合会も控訴人らの復職を要求している旨主張し、当審証人太田幸夫は右主張にそう証言をしているが、この証言は前掲証拠に照らしてにわかに信用できない。)

一方、《証拠省略》によれば、その間に、控訴人西尾の勤務先である名古屋港事務所は昭和二六年以降特別地方公共団体として設立された名古屋港管理組合に吸収されて被控訴人の組織から離脱しており、控訴人権田の勤務先である額田地方事務所も昭和三一年に西三河地方事務所に統合され、控訴人松井の勤務先である経済部工業品課は、経済部が廃止されるに伴い商工部工業品課に組織上変更されており、被控訴人の人事上及び機構上相当の変動があったことが認められ、他に右認定を左右すべき証拠は存しない。

前述引用の原判決理由二の事実及び右認定の事実からすれば、控訴人らは解職予告手当や退職手当の授受をめぐり本件処分の効力を争い、またいちはやく被控訴人を相手に本件処分の取消を求めて愛知県地労委に救済の申立をして闘争したにもかかわらず、中労委において右の救済申立が棄却されると、その取消を求める行政訴訟までは起さず、結局右の救済申立を棄却されたままで確定させ、これを転機に闘争を収束し、その後実に一〇年もの長期に亘り本件処分の効力を争う法律上及び事実上の手段を全くとらなかったものであるから、相手方の被控訴人としては、本訴が提起された頃には、右を信頼しもはや控訴人らから本件処分の効力を争われることはあるまいと信じていたとしてもそれはもっともであって、被控訴人においては、控訴人らとの間の職員関係(労働関係)は一切終了したものと確信し、前認定のような変動をみた被控訴人の機構及び人事関係のもとで、控訴人らとの職員関係の消滅を前提とする新しい事実関係並びに法律関係を形成し、その安定をみるに至っていたものと推認するに難くない。

3、ところで控訴人らは、本訴の提起が遅れたことについて、その事情を縷々述べて、本訴において本件処分の無効を主張することが信義則に反するものではないと反論するので、本訴提起に至った経緯についてみるに、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

控訴人らは本件処分当時いずれも共産党員であって、本件処分は行政整理に藉口したいわゆるレッド・パージであり、同時に不当労働行為をも構成するものと受けとめたが、占領管理体制下においては裁判で争うことは不利であるとの判断から、これをもっぱら不当労働行為であるとして労働委員会の救済命令を求めることに決めた。しかし控訴人らの申立を認容した初審の救済命令は中労委において取消され、控訴人らの申立は棄却されるところとなった(この事実は当事者間に争いがない)。この中労委の命令は、控訴人らにとっては全く予期に反したものであったので大いに不満であったが、控訴人らは中労委にしてかかる命令を出すようでは当時の客観情勢からして、もはやこれ以上抗争しても勝利の見込みはないと判断し、敢えてこの命令を争わず、本件処分に対する闘争を収束した。そして控訴人西尾は党員として、控訴人権田は印刷業を始め、控訴人松井は会社員としてそれぞれ自活の道を開いた。その後、昭和二七年四月末には講和条約が発効し、わが国に対する占領管理体制は終結したが、控訴人らは本件処分については沈黙をつづけた。昭和三二年頃に至り総評や自治労がレッド・パージによる解雇者の復職について支援共闘を決議し、次いで全国解雇反対復職同盟が結成され、レッド・パージによる解雇無効確認の訴提起について検討がなされた。そして昭和三二年から三三年頃いわゆるレッド・パージによる解雇者の復職訴訟が全国的に多数裁判所に提起されるに及んで、控訴人らはこの事実を聞知して訴訟意欲を抱くようになった。そしてそれから三年を経た昭和三五年一二月三日ようやく本訴を提起して本件処分の無効を主張するに至った。

右認定を左右する証拠はなく、この認定事実によってみる限り、控訴人が本訴において本件処分の無効を主張しはじめたことは、他動的にして、甚だしく遅延した権利の行使であるといわなければならない。

4、そこで以上の諸点を彼此合わせ考えてみるに、被控訴人において控訴人らとの職員関係は一切終了したものとしてその人事及び機構上新しい事実関係及び法律関係が形成され、すでに一〇年以上経過した後、前認定のごとき経緯から突如として控訴人らが本訴において本件処分の無効を主張し、被控訴人において新たに形成された事実関係及び法律関係を一挙に覆えそうとすることは、たとえ本件処分に控訴人ら主張のような瑕疵があったとしても、これは紛争の早期解明による法的安定を強く要請される労働関係(控訴人らの公務員関係にも妥当する)上の権利の行使として恣意的にすぎ、相手方の信頼を裏切るもので、信義則に反するものというべきである。それ故控訴人らは本訴において本件処分の無効を主張することは許されないと解するのが相当である。

5、なお控訴人らは信義則の法理は本件には適用できない旨種種主張する。しかし憲法違反の相手方に対する権利行使には信義則の適用は排除される旨の所論(控訴人の主張二の(一)(三))は控訴人ら独自の見解であって採用できず、また信義誠実の原則は公法、私法に共通する法の一般原理であるから、権力関係についても適用のあることは疑問の余地がないから、これと異る所論(同二の(二))もまた採用できない。控訴人らはさらに信義則の法理を適用すべからざる論拠として、被控訴人は行政整理実施要綱によってなすべき就職斡旋の義務を懈怠しているごとく主張するけれども、控訴人らが本件処分を認めない以上被控訴人としては他への就職を斡旋する術はないのであるから右の主張はそれ自体問題にならない。

三、してみると、その余の点について判断するまでもなく、控訴人らの本訴請求は理由がなく棄却すべきものである。

よって右と同旨の原判決は相当であり、本件控訴は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条、九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丸山武夫 裁判官 杉山忠雄 裁判官林倫正は退官につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 丸山武夫)

〈以下省略〉

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